馬の品種は民族の数へ(品種、品種改良の意味と日本在来馬の位置づけについて)
First Update: May.31, 1998
Revised:Feb.18,2005
-現存の日本在来種馬-
-歴史-
縄文時代(新石器時代)、既に日本には馬がいたという説もある(出土した馬骨の年代測定がいいかげんで、現在、縄文時代に日本に馬がいたという説は?)。大化の改新(645年)の頃には交通機関として使われており、平安時代、馬術は弓術とともに武士の必須科目となっていた。流鏑馬(やぶさめ)、笠懸(かさがけ)、犬追物(いぬおうもの)は騎射三物(きしやみつもの)と称され、和種馬を機能的に動かす日本固有の和鞍(わぐら)、和鐙(わあぶみ)、が定着、質の高い和種の全盛期が訪れる。
古代、馬は皇室の牧に放牧、自然繁殖にまかされた。その内、上馬が献上馬として選抜された。中馬を軍馬、伝馬とし、下馬が民間に払い下げられた。室町時代の始めまで、”良い馬”は戦乱の中で横死し、計画的な淘汰、生産もない状況で、和種の質は落ちていった。
室町中期には、戦場での損失がなくなったことで、再び馬の質が上がった。まだ、鉄砲がなかった時代、馬は機動力と突撃の際に敵に与える恐怖心という点で、現代の核にも匹敵するものであった。強い馬を多く所有することが、世の覇権を握るために絶対に必要であった。
戦国時代を経て、徳川氏の全国統治と鎖国の江戸時代は、泰平期であり、馬術は武士道という精神的な趣味を養うための習いごとになった。
明治時代に入ると、馬は”活兵器”となり、軍馬増強政策によって、馬格の大きい外国産馬との交配が強制された。和種の牡馬(男馬)は、すべて、法律によって去勢された。
以来、和種は純血種の保存という意味で壊滅状態になった。