The Saddle of Japan


軍陣鞍
軍陣鞍

写真は鎌倉時代以降に完成した”軍陣鞍”である。馬の背に直接接する鞍下を”肌付”、その上を”切付”、鞍を構成する木を”鞍橋(くらぼね)”と呼ぶ。
”胸がい”、”尻がい”、”面がい”を三がいと称する。
腹帯の結び方にも故実があり、秘伝ということになっていた。
和鞍はワーキング・サドルである。人が馬の上で、仕事ができる鞍である。大きなスリッパのような鐙にしっかりと立ち、臍を突き出し、でっちり(出尻)で乗る。”立ち透かし”という。
障泥(あおり(あふり))-泥よけ-をつけて乗るのが和鞍ということになってしまっているが、あのような厚い皮が馬体と鐙の間にあっては、いかな大きく重い和鐙でも脚が利かぬ。武田流司家の金子家教氏によれば、「あれは、千利休が発明したんだ」ということだ。創ったのではなくデザインしたらしい。
武田流の伝書では、鞭を使っていないという。どうも、鞭を頻繁に使うようになったのは、大坪流が乗馬術の本流になってからのようだ。徳川時代になると、実戦がなくなり馬がどんどん重くなっていったのであろうか。さらに、格好はいいが、邪魔な障泥を装着していたら、これはもう鞭を使うしかないだろう。戦、狩、流鏑馬などでは、障泥は使わない。馬を軽快に操作するのに、邪魔だから。障泥は、小型の大和鞍、水干鞍を使うときに用いるということを聞いたこともある。
和式馬術に関するのあれこれ


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